2009年05月05日
◆竹屋物語 第8話
さあーて今日も竹屋物語始まるよー
いよいよ江上家 最大の賭け コンビニ事業のスタートです。
とはいえ、やはり上手くいかなかった場合が頭をよぎります。
ダメならみんなしてアパート住まいで、また借金返済のために働きづくめの日々が待ってます。
もしもに備えて 父は今の会社に席をおき、私と母の2人でコンビニの研修に行きました。(ダメなときに父の歳じゃ再就職は厳しいと考えたのです)
後には引けない大勝負です、私達は一生懸命 声を張り上げて頑張りましたよ。
私は店の手伝いをよくしていたと言いましたが、何せ1日に何人かの ほとんど決まったお客さんの来るようなお店です。
そのころは「いらしゃいませ」の言葉すら言ったことがなかったうえに、コンビニ直前までトラックの運転手でしょ。
夜中に青果市場とかに行って市場のおじちゃんに
「おじちゃーん 大根積んできたばーい」
「次の間に合わんけん、はよ降ろそーい」
なんて状態ですよ。
感じ良く「いらっしゃいませー」
なんて言えるわけないし、恥ずかしいし。
横にはオフクロおるし!
と思ってたら、その研修センターのトレーナーが中々の気合!
教室の中を木刀もってウロウロ。(もちろん叩かれたことはなかったが)
後、自分の置かれてる立場とオフクロのやる気にも刺激され、スーパー店長を目指して日々研修に頑張ったのである!
次号へつづく
いよいよ江上家 最大の賭け コンビニ事業のスタートです。
とはいえ、やはり上手くいかなかった場合が頭をよぎります。
ダメならみんなしてアパート住まいで、また借金返済のために働きづくめの日々が待ってます。
もしもに備えて 父は今の会社に席をおき、私と母の2人でコンビニの研修に行きました。(ダメなときに父の歳じゃ再就職は厳しいと考えたのです)
後には引けない大勝負です、私達は一生懸命 声を張り上げて頑張りましたよ。
私は店の手伝いをよくしていたと言いましたが、何せ1日に何人かの ほとんど決まったお客さんの来るようなお店です。
そのころは「いらしゃいませ」の言葉すら言ったことがなかったうえに、コンビニ直前までトラックの運転手でしょ。
夜中に青果市場とかに行って市場のおじちゃんに
「おじちゃーん 大根積んできたばーい」
「次の間に合わんけん、はよ降ろそーい」
なんて状態ですよ。
感じ良く「いらっしゃいませー」
なんて言えるわけないし、恥ずかしいし。
横にはオフクロおるし!
と思ってたら、その研修センターのトレーナーが中々の気合!
教室の中を木刀もってウロウロ。(もちろん叩かれたことはなかったが)
後、自分の置かれてる立場とオフクロのやる気にも刺激され、スーパー店長を目指して日々研修に頑張ったのである!
次号へつづく
2009年05月05日
◆竹屋物語 第7話
江上家の大ピンチ!!
酒屋をこれ以上続けても意味がないので母も酒屋をやめて働きにでるというのです。
実は当時まだ酒の販売免許が売買されていたころ(関係者の皆様、売買という表現が不適切でしたらごめんなさい)
内の免許も地場のスーパーが買いたいという話が持ち上がったのです。
さあーどうする!江上家最大の決断
その時である
中堅コンビニの店舗開発担当者がやってきて、「酒の免許を移転してコンビニしませんか?」
どうする?
というよりもコンビニをするようなお金はとうていないのである。
あるのはようやく終わりかけた自宅のローンだけ
じゃあやめるのか。
我が家で家族会議が始まった。といっても唯一の兄弟の姉は嫁に出ていたので3人だけの会議。
会議中
母 「今さらまた借金するぐらいならやめて勤めたほうが良かろー」
ほとんど開き直り発言。
父 「ばってん、やめたら周りは潰れたち言うもんねー」
ちょっと寂しそう。
私 (心の中で)どうせ潰れたような酒屋やんねやん。そこ気にするか?
私 「あんた達がするち言うならしてもよかばい」
父 「するとなると家も土地も担保にして、また借金やけん、もし失敗したら家も土地もなくなるぜ。」
私、母 父の発言に こいつ やりたいんだなと悟る。
私 「してみようか!」
会議終了
会議時間5分
我が家の人間はそれなりに苦労はしてきたが楽天家ばかりだ。
コンビニをすることが決定。
いよいよ江上家の逆襲 大復活劇の始まりである!!
次号へつづく
酒屋をこれ以上続けても意味がないので母も酒屋をやめて働きにでるというのです。
実は当時まだ酒の販売免許が売買されていたころ(関係者の皆様、売買という表現が不適切でしたらごめんなさい)
内の免許も地場のスーパーが買いたいという話が持ち上がったのです。
さあーどうする!江上家最大の決断
その時である
中堅コンビニの店舗開発担当者がやってきて、「酒の免許を移転してコンビニしませんか?」
どうする?
というよりもコンビニをするようなお金はとうていないのである。
あるのはようやく終わりかけた自宅のローンだけ
じゃあやめるのか。
我が家で家族会議が始まった。といっても唯一の兄弟の姉は嫁に出ていたので3人だけの会議。
会議中
母 「今さらまた借金するぐらいならやめて勤めたほうが良かろー」
ほとんど開き直り発言。
父 「ばってん、やめたら周りは潰れたち言うもんねー」
ちょっと寂しそう。
私 (心の中で)どうせ潰れたような酒屋やんねやん。そこ気にするか?
私 「あんた達がするち言うならしてもよかばい」
父 「するとなると家も土地も担保にして、また借金やけん、もし失敗したら家も土地もなくなるぜ。」
私、母 父の発言に こいつ やりたいんだなと悟る。
私 「してみようか!」
会議終了
会議時間5分
我が家の人間はそれなりに苦労はしてきたが楽天家ばかりだ。
コンビニをすることが決定。
いよいよ江上家の逆襲 大復活劇の始まりである!!
次号へつづく
2009年05月05日
◆竹屋物語 第6話
そして・・・
私の選んだ道はトラックの運転手。
父の背中ばかりを追いかけてきた私はやはりそれを選んだのです。
その時の会話
母 「あんた仕事どげんすると?」
私 「トラックに乗る」
母 「それだけはやめんね」
しばらく2人の会話を聞いた父は
父 「トラックに乗るぐらいなら家でじっとしとけ、飯ぐらいは食わせてやる」
そうです そのころ父はトラックは降りてその運送会社の事務所に勤めてましたが その危険性と過酷さをしているだけにの言葉です。
しかし私は親の言う事を聞く訳もなく こっそりトラックに乗り始めました。
これまた鬼のように働きました。そこの運送会社の営業所で1番の売上で1番の給料をもらてました。
しかし、その仕事の厳しさは実感していました。
そんな中 内の酒屋に限界がきたのです。
どうする!?江上家!!
私の選んだ道はトラックの運転手。
父の背中ばかりを追いかけてきた私はやはりそれを選んだのです。
その時の会話
母 「あんた仕事どげんすると?」
私 「トラックに乗る」
母 「それだけはやめんね」
しばらく2人の会話を聞いた父は
父 「トラックに乗るぐらいなら家でじっとしとけ、飯ぐらいは食わせてやる」
そうです そのころ父はトラックは降りてその運送会社の事務所に勤めてましたが その危険性と過酷さをしているだけにの言葉です。
しかし私は親の言う事を聞く訳もなく こっそりトラックに乗り始めました。
これまた鬼のように働きました。そこの運送会社の営業所で1番の売上で1番の給料をもらてました。
しかし、その仕事の厳しさは実感していました。
そんな中 内の酒屋に限界がきたのです。
どうする!?江上家!!
2009年05月05日
◆竹屋物語 第5話
高校を卒業する私に 親の1番の希望は大きな会社に就職して とにかく安定した収入を稼いでくれることでした。
酒屋を継がせようなんてもってのほかでした。
私も継ぐ気はありませんでしたが。
私は一応 住宅、プラスティック製品をつくる大手の企業に就職しました。
両親も相当喜んだようです。
勉強は嫌いですが仕事は慣れてる私はガムシャラに働きました。
しかし何かが違うのです。私の考える仕事と現実のサラリーマンは。
働きだして2年ぐらいの事。
どんなに一生懸命働いてもみんな給料はほとんど変わらない、怠けているひとですらです。
(やはり商売人の血がどこかに流れていたのでしょうか)
私はとうとう2年半でその会社を辞めてしまいました。
今思えば、あの時、会社を辞めていなかったら今の私も店もなかったと思います。
続く・・・
酒屋を継がせようなんてもってのほかでした。
私も継ぐ気はありませんでしたが。
私は一応 住宅、プラスティック製品をつくる大手の企業に就職しました。
両親も相当喜んだようです。
勉強は嫌いですが仕事は慣れてる私はガムシャラに働きました。
しかし何かが違うのです。私の考える仕事と現実のサラリーマンは。
働きだして2年ぐらいの事。
どんなに一生懸命働いてもみんな給料はほとんど変わらない、怠けているひとですらです。
(やはり商売人の血がどこかに流れていたのでしょうか)
私はとうとう2年半でその会社を辞めてしまいました。
今思えば、あの時、会社を辞めていなかったら今の私も店もなかったと思います。
続く・・・
2009年05月05日
◆竹屋物語 第4話
そんなこんなで中学も卒業が近づき、いよいよ受験です。
私は母に「オレ中学卒業したら働いてもいいよ、どうせ勉強すかんし」
それを聞いた母はどうやら自分の(母方の)親に相談したらしく、
その後 久々にばあちゃん家を訪れると、ばあちゃんが
「心配せんで良かけん学校に行かんね」 と
入学金、学費等をどうしたかは知りませんが 何とか私は高校へは行かせていただきました。(なのに、あまり勉強しないでごめんなさい)
高校も同じように学校が終わっては酒屋へ通う日々でした。
そして ついに就職です。もちろん私も親もそれ以上の学校に進もうなて気は全くありませんでした。
次号へつづく!
私は母に「オレ中学卒業したら働いてもいいよ、どうせ勉強すかんし」
それを聞いた母はどうやら自分の(母方の)親に相談したらしく、
その後 久々にばあちゃん家を訪れると、ばあちゃんが
「心配せんで良かけん学校に行かんね」 と
入学金、学費等をどうしたかは知りませんが 何とか私は高校へは行かせていただきました。(なのに、あまり勉強しないでごめんなさい)
高校も同じように学校が終わっては酒屋へ通う日々でした。
そして ついに就職です。もちろん私も親もそれ以上の学校に進もうなて気は全くありませんでした。
次号へつづく!
2009年05月05日
◆竹屋物語 第3話
竹屋物語第3話スタートでーす!!
私の中学生のころは友達と遊んだという記憶より家の手伝いをしていた記憶のほうが多いです。(自分アピール)
学校から帰ったら着替えて店の手伝いへ移動。自宅は城島町でしたが(当時三潴郡)酒屋は久留米の小森野町というところにありました。片道13キロ程度。
そこを自転車で通ってました。
母が配達に出るので留守番です。
その時の話
お客さん「ここの店はこの酒しか置いとらんとね?」
私 「はい」
お客さん「他の酒屋さんは、もっといろいろ置いとらすよ」
「ならよか」
私 「すみません」
それにジョウジアは無ければファンタも無い、そこでも同じような会話が繰り返される。
私は悔しくて母に
私 「なんで内の店にはこんだけの酒しか置いて無いと?」
「ジョウジアも無かし、だけん内にはお客さんが来んとたい」
母 「この酒はね、10本仕入れたら2本おまけがつくとたい。だけんこれを置いとると。 ジョウジアは仕入れたら現金で払わないかんけん仕入れんとたい。」
まるで佐賀のがばいばあちゃんのような会話です。
それを聞いて反論しても、とても変わる事も無く 私は毎日留守番をしてて 初めて見るお客さんが来るのが嫌で嫌でたまりませんでした。
さらに続く・・・
私の中学生のころは友達と遊んだという記憶より家の手伝いをしていた記憶のほうが多いです。(自分アピール)
学校から帰ったら着替えて店の手伝いへ移動。自宅は城島町でしたが(当時三潴郡)酒屋は久留米の小森野町というところにありました。片道13キロ程度。
そこを自転車で通ってました。
母が配達に出るので留守番です。
その時の話
お客さん「ここの店はこの酒しか置いとらんとね?」
私 「はい」
お客さん「他の酒屋さんは、もっといろいろ置いとらすよ」
「ならよか」
私 「すみません」
それにジョウジアは無ければファンタも無い、そこでも同じような会話が繰り返される。
私は悔しくて母に
私 「なんで内の店にはこんだけの酒しか置いて無いと?」
「ジョウジアも無かし、だけん内にはお客さんが来んとたい」
母 「この酒はね、10本仕入れたら2本おまけがつくとたい。だけんこれを置いとると。 ジョウジアは仕入れたら現金で払わないかんけん仕入れんとたい。」
まるで佐賀のがばいばあちゃんのような会話です。
それを聞いて反論しても、とても変わる事も無く 私は毎日留守番をしてて 初めて見るお客さんが来るのが嫌で嫌でたまりませんでした。
さらに続く・・・