トラック話
久々に竹屋物語!
今日はオトンがトラックにのっていたころの話。
竹屋は前にも述べたように酒屋だけで食べていける
ような酒屋ではなかった。
そこでオトンはトラックの運転手になったのだが
若はそのころには江上家の事情に気付き、
できるだけ手伝いをしていた。
夏休み、冬休み、春休みとすべてトラックの横に乗って
ついていった。
そのときの話。
オトンの会社は主にナショナルの電気製品を運ぶ会社だった。
基本、大阪にのぼります。
3日間行程でいくのだが、行く日の家から始まる。
オトン 「はよせんと行くぜ」
オカン 「ほら、はよせんと行くげなよ」
若 「うん」
オトン 「どげんでんよかとぜ」
オカン 「ほら、はよやん」
若は眠くてたまらないのである。
しかし、何とか起きて出発。
のぼりに積む荷物はナショナルの製品以外もあり、
様ざまな物を積んだ。
ある日は、家具、チュルルン、アセロラ、ウエス、海苔
ナショナルの製品でも電話、ステレオといろいろ。
これが何を積むかで運命の分かれ道。
中でも、地獄はチュルルン、アセロラ、電話
分かります?
チュルルン?昔、こんなゼリーがあった。
これは重いのだ。アセロラはジュース。
これも重い。何千ケースも積むから(電話なら3000個とか)
とにかく気の遠くなるような積み込み。
若はこの時に仕事の要領というものを学んだ。
どのような順番でパレットに荷物をのせたらスムーズに
のせれるか、オトンがどこに荷物を置いたら若はどこに
置けば次のオトンが置きやすいか。
中学生だが日本一の助手だった。
この最高の助手をのせていくのだ、実はオトン、口では
出かけるときに、「どげんでんよか」とか言ってるが
若が来るのと来ないのじゃ天と地の差。
「どげんでんよかとぜ」どころが「早くついて来てくれ」
が本音である。しかし、当時まだ40歳ぐらい
強がりまくりである。そんな強がりの頑固おやじと
その息子とのトラックの物語
はじまり はじまり!!
次号へつづく
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