2009年05月05日
◆竹屋物語 第4話
そんなこんなで中学も卒業が近づき、いよいよ受験です。
私は母に「オレ中学卒業したら働いてもいいよ、どうせ勉強すかんし」
それを聞いた母はどうやら自分の(母方の)親に相談したらしく、
その後 久々にばあちゃん家を訪れると、ばあちゃんが
「心配せんで良かけん学校に行かんね」 と
入学金、学費等をどうしたかは知りませんが 何とか私は高校へは行かせていただきました。(なのに、あまり勉強しないでごめんなさい)
高校も同じように学校が終わっては酒屋へ通う日々でした。
そして ついに就職です。もちろん私も親もそれ以上の学校に進もうなて気は全くありませんでした。
次号へつづく!
私は母に「オレ中学卒業したら働いてもいいよ、どうせ勉強すかんし」
それを聞いた母はどうやら自分の(母方の)親に相談したらしく、
その後 久々にばあちゃん家を訪れると、ばあちゃんが
「心配せんで良かけん学校に行かんね」 と
入学金、学費等をどうしたかは知りませんが 何とか私は高校へは行かせていただきました。(なのに、あまり勉強しないでごめんなさい)
高校も同じように学校が終わっては酒屋へ通う日々でした。
そして ついに就職です。もちろん私も親もそれ以上の学校に進もうなて気は全くありませんでした。
次号へつづく!
2009年05月05日
◆竹屋物語 第3話
竹屋物語第3話スタートでーす!!
私の中学生のころは友達と遊んだという記憶より家の手伝いをしていた記憶のほうが多いです。(自分アピール)
学校から帰ったら着替えて店の手伝いへ移動。自宅は城島町でしたが(当時三潴郡)酒屋は久留米の小森野町というところにありました。片道13キロ程度。
そこを自転車で通ってました。
母が配達に出るので留守番です。
その時の話
お客さん「ここの店はこの酒しか置いとらんとね?」
私 「はい
」
お客さん「他の酒屋さんは、もっといろいろ置いとらすよ
」
「ならよか
」
私 「すみません
」
それにジョウジアは無ければファンタも無い、そこでも同じような会話が繰り返される。
私は悔しくて母に
私 「なんで内の店にはこんだけの酒しか置いて無いと?」
「ジョウジアも無かし、だけん内にはお客さんが来んとたい
」
母 「この酒はね、10本仕入れたら2本おまけがつくとたい。だけんこれを置いとると。 ジョウジアは仕入れたら現金で払わないかんけん仕入れんとたい。」
まるで佐賀のがばいばあちゃんのような会話です。
それを聞いて反論しても、とても変わる事も無く 私は毎日留守番をしてて 初めて見るお客さんが来るのが嫌で嫌でたまりませんでした。
さらに続く・・・
私の中学生のころは友達と遊んだという記憶より家の手伝いをしていた記憶のほうが多いです。(自分アピール)

学校から帰ったら着替えて店の手伝いへ移動。自宅は城島町でしたが(当時三潴郡)酒屋は久留米の小森野町というところにありました。片道13キロ程度。
そこを自転車で通ってました。

母が配達に出るので留守番です。
その時の話
お客さん「ここの店はこの酒しか置いとらんとね?」
私 「はい

お客さん「他の酒屋さんは、もっといろいろ置いとらすよ

「ならよか

私 「すみません

それにジョウジアは無ければファンタも無い、そこでも同じような会話が繰り返される。
私は悔しくて母に
私 「なんで内の店にはこんだけの酒しか置いて無いと?」
「ジョウジアも無かし、だけん内にはお客さんが来んとたい

母 「この酒はね、10本仕入れたら2本おまけがつくとたい。だけんこれを置いとると。 ジョウジアは仕入れたら現金で払わないかんけん仕入れんとたい。」
まるで佐賀のがばいばあちゃんのような会話です。

それを聞いて反論しても、とても変わる事も無く 私は毎日留守番をしてて 初めて見るお客さんが来るのが嫌で嫌でたまりませんでした。
さらに続く・・・
2009年05月03日
◆竹屋物語 第2話
竹屋物語の第2話のはじまり はじまり!!
そして中学生。
突然、父が長距離トラックの運転手を始めました。
そうです!
当時まだ二十年以上前、 町の酒屋さんは全盛期。
なのに父はトラックの運転手。
そのとき やっと気付きました。
なるほど、内は酒屋だけでは生活できないレベルの酒屋なんだ。
私の想像する我が家は全然違っていたのです。
ショック。
どこの酒屋さんもそれなりに儲かってる時代にそこの大将が出稼ぎにでている、
とても恥ずかしくて周りの酒屋さん、それどころか、それ以外の知人にも隠していました。(子供なりに察して)
よその酒屋さんが内に来ているときに父がその日から大阪まで走るのに父が店の離れたところにトラックを停めているので、
その酒屋さんに見つからないように走って弁当を届けたこともありました。
もちろん、隠したところで周りの人には、すぐによそに勤めに出てることはバレましたけど
。
私は学校が夏休みや長期休みになれば宿題もせずにトラックの横に乗って大阪や東京に手伝いでついて行ったものでした。今では懐かしい思い出です。
次号へ続く。

そして中学生。
突然、父が長距離トラックの運転手を始めました。
そうです!
当時まだ二十年以上前、 町の酒屋さんは全盛期。
なのに父はトラックの運転手。
そのとき やっと気付きました。
なるほど、内は酒屋だけでは生活できないレベルの酒屋なんだ。
私の想像する我が家は全然違っていたのです。
ショック。

どこの酒屋さんもそれなりに儲かってる時代にそこの大将が出稼ぎにでている、
とても恥ずかしくて周りの酒屋さん、それどころか、それ以外の知人にも隠していました。(子供なりに察して)
よその酒屋さんが内に来ているときに父がその日から大阪まで走るのに父が店の離れたところにトラックを停めているので、
その酒屋さんに見つからないように走って弁当を届けたこともありました。
もちろん、隠したところで周りの人には、すぐによそに勤めに出てることはバレましたけど

私は学校が夏休みや長期休みになれば宿題もせずにトラックの横に乗って大阪や東京に手伝いでついて行ったものでした。今では懐かしい思い出です。
次号へ続く。
2009年05月02日
◆竹屋物語 第1話
これから、もっともっと私(当店)を知っていただくために、竹屋物語として詳しく自己紹介していきたいと思います。
私、竹屋の若こと江上隆彦は酒乃竹屋の二代目で35歳、嫁一人、娘一人でございます。
現在、父、母、祖母の六人暮らし。
その自宅の一階で小さな酒屋を経営しております。
酒乃竹屋は元々、私の祖父が酒粕卸販売業を営んでおり、
その息子の父が祖父の進めで酒屋を始めたのが当店の始まりでございます。
私が生まれる一年ぐらい前の事。
私は生まれたときから酒屋の息子でした。
そして、もの心をついた幼稚園ぐらいのころから小学生 高学年の頃まで
「我が家は金持ちなんだ
」と思いながら過ごしていました。(大きな勘違いでしたが・・・)続く・・・
私、竹屋の若こと江上隆彦は酒乃竹屋の二代目で35歳、嫁一人、娘一人でございます。
現在、父、母、祖母の六人暮らし。
その自宅の一階で小さな酒屋を経営しております。
酒乃竹屋は元々、私の祖父が酒粕卸販売業を営んでおり、
その息子の父が祖父の進めで酒屋を始めたのが当店の始まりでございます。
私が生まれる一年ぐらい前の事。
私は生まれたときから酒屋の息子でした。
そして、もの心をついた幼稚園ぐらいのころから小学生 高学年の頃まで
「我が家は金持ちなんだ

2009年05月01日
◆感謝 感謝です!
ついにブログを始めた昨日、思いがけない人と久々の再会。
驚きでした。本当に人の繋がりとは不思議なもので、久々に会ってその方が元気に頑張っておられると
とても刺激になります。
今回はりえママのおかげでブログも始められたし、そこで二人の古い知人の元気な姿を見てなんとなく嬉しい気持ちになりました。
りえママはとても尊敬できるママです。これからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いします。
今日も美味しいお酒(日本酒)でかんぱーい
驚きでした。本当に人の繋がりとは不思議なもので、久々に会ってその方が元気に頑張っておられると
とても刺激になります。
今回はりえママのおかげでブログも始められたし、そこで二人の古い知人の元気な姿を見てなんとなく嬉しい気持ちになりました。
りえママはとても尊敬できるママです。これからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いします。
今日も美味しいお酒(日本酒)でかんぱーい
